実家の愛猫しょんの思い出

今回は普段と話題が少し違うのですが、忘れたくない思い出の記録がこのサイトの趣旨ですので、今日は実家で飼っていた猫のしょんについて少し書きたいと思います。

去る9月14日、実家の愛猫しょんが急性腎不全で他界しました。16歳4か月でした。

上目遣いのしょん

猫で16歳なら短命とは言えませんし、しょんは家族全員からまさに猫可愛がりされてきた猫なので、飼い猫としてとても幸せな一生を送ったと言っていいのだと思います。ただ、理屈ではそう分かっていても、しょんは自分の人生のおおよそ半分を共にした猫なので、今の気持ちはやはり、ただ、ただ寂しいの一言です。

寝そべるしょん

アメリカンショートヘアのしょんが叔母のつてで我が家にもらわれてきたのは2001年。当時は自分も名古屋の実家にいて、ピカピカはしていなかったかもしれませんが10代の大学生でした。

まだほんの子猫だった当時のしょんはとにかく元気いっぱい。動くものにすぐじゃれついたり、カーテンや網戸にバリバリと登ったり。歩きながら水をポタポタ垂らしてやると興奮して追いかけてくるので、いくら母親に床が濡れるのでやめるよう注意されても、こっそりよく一緒に遊んでいました。

赤ちゃんしょん

翌年には兄妹同然に育つミニチュアダックスのモモも加わり、順調に育っていくしょん。イケメンな上に骨格がしっかりしていて、尻尾はすらりと真っ直ぐ伸びています。めったに鳴くことはなく、鳴いても誰も気づかないような小さな声で「オカー」と言うだけの控えめな性格の猫でした。

ちょっとご飯の誘惑に弱く、猫らしく愛すべきバカとでもいうような愛嬌も備えていましたが、何事にも動じないおおらかさがあり、そんなしょんを家族はみんな大好きになりました。

横顔のしょん

2005年に実家が川崎市へと引っ越すと、この頃からしょんは父親のたっぷりの愛情と美味しいご飯を与えられ、幸せなデブ猫への道を着実に歩むこととなりました。アザラシだとかトドだとか言われることもありましたが、人間の言葉で何を言われてもそんなことはお構いなしです。

ひっくり返るしょん

2008年には自分たちも仕事の関係で同じ川崎市へ。再びしょんと時々会える距離で生活を始めました。2012年に移動生活を始めてからは、その合間によく実家で居候をしていたので、また一緒に暮らす機会もできるようになりました。

水飲み場のしょん

実家でのしょんのお気に入りの場所は、キッチンの横に敷いてもらった猫用クッションの上。身体が大きいのでちょっとはみ出ていましたが、ここからリビングにいる家族の様子を眺めているのがいつもの光景でした。

キッチン横のしょん

リビングのソファに人がいないときは、そちらに陣取って毛繕いをしたり、寝転がったりするのも好きでした。大物なので寝相はいつも豪快です。隣のモモは一生懸命、おやつの骨スティックをかじっています。

ソファで寝るしょん

また、しょんは猫だけにブラッシングされるのも好きでした。よく母親の膝の上で毛を梳いてもらって気持ち良さそうにしていましたが、そのときにできる副産物のヘアボールはうちの愛猫みーの一番のおもちゃになっています。

シャーシャーするしょん

夜寝るときは父親の部屋へ行きたがったりしましたが、鳴きはしないものの、枕元に立ってじっと存在感でご飯を訴え続けるしょんは睡眠の大きな妨げとなるため、基本的にはモモと一緒に母親のベッドで寝るのでした。

ベッドで寝るしょんともも

日中は仕事をしている自分の部屋にも、しょんはよく遊びに来てくれました。切りがついてふと振り返るとソファの上でくつろいでいたり、ぐっすり眠りこけていたりといった感じです。

遊びに来たしょん

ときにはそれに留まらず、デスクの上に乗ってきてご飯を要求し出すこともありました。しかし、さっき食べただろうと無視していると、突然そのまま居眠りを始めたりもします。さっきまでの訴えは一体何だったんだという感じです。

要求するしょん

また、この時期はうちの愛猫みーも同居していたため、ペット3匹が集結するカオスな事態となっていました。日中の世話は主にShanが担当。しょっちゅう外へ行きたいモモと、あちこち走り回りながら騒ぐみー、そしてひたすらご飯を求め続けるしょん。自ら”悪の三銃士”と名付けた3匹に、ご飯をあげたり、あやしたりと、もはやShanは幼稚園の先生状態でした。

幼稚園状態

これはそんなShanが撮った妹のご飯の横取りを狙うしょんの図。食欲に負けて見事に手が出ています。モモが可愛がられていると、たまに嫉妬したりする子供っぽい一面もありました。

横取りを狙うしょん

3匹は慣れ合いはしないもののお互いの存在を認めてはいるようで、寒い日には電気カーペットの上で一緒に寝たりということもよくありました。同居でしょんの穏やかな気質を少しでも学んでくれたら良かったのですが、しかしみーにその気はなかったようで、今も相変わらずおてんばな性格のままです。

しょんとみーの寝姿

こんな風にしょんをモフモフと可愛がりながら共に過ごした日々は、今思うと本当にかけがえのない時間でしたが、当時はあって当たり前の毎日で、それがこれからも続くのだと何となく家族全員が当然のように思っていました。

バリバリするしょん

そんなしょんに異変があったのは今年の4月19日。突然ボタボタと鼻血を出し、急遽係りつけの病院へと連れて行きました。血液検査の結果、当初は打撲で上がる数値が上昇していたので、おそらくどこかにぶつけたのではという話でした。

しかし、その後二度目の鼻血が出たため、5月16日に紹介を受けた麻布大附属動物病院でより精密な検査を受けることになりました。病院のある相模原までは片道約1時間半。自分とShanで連れて行ったので、名古屋時代に内海へ行って以来のしょんと3人の遠距離ドライブとなりました。

麻布大学附属動物病院

午前中にしょんを預けて、言われた通り午後まで時間を潰してから先生の診断を聞きに行くと、結果は予想外の肺癌。CTの結果、鼻血と関係のないところでより重い病気が見つかったのでした。

何だか実感が湧かないまま聞いた話では、猫の肺癌は手術をしても予後はあまり芳しくなく、苦しめるだけに終わることが多いとのこと。転移ではない原発性の癌であれば、それでも半年から1年生きるケースもあるらしく、元々寿命も長い訳ではないので穏やかに暮らさせてあげた方が良いということでした。

廊下に寝そべるしょん

自分はもちろん家族もショックでしたが、平気な顔をしているしょんを見ていると半分はまだ信じられないといった気持ちでした。それでももしかすると近いかもしれない別れに備え、このあとしょんは母親やモモと共に、単身赴任で2年前から大阪にいる父親の元でしばらくの間暮らすことになりました。

ケージの中のしょん

それから何事もなく、しょんの大阪での夏が過ぎました。両親はしょんとの時間を満喫できたようでした。しかし、無事川崎へ戻って来てから数週間後の9月10日に調子を崩し、家族が病院へ連れていくと、今度は急性腎不全と診断されました。

点滴や毒素を抜く処置をしてもらったようですが、利尿剤が効かず、明らかに元気はなくなってきていました。その週は偶然大阪から父親と、海外から妹が帰国しており、母親とともに交互で夜の間ずっと様子を見守っていたようです。

翌11日は自分とShanも様子を見に駆けつけました。しょんは朝8時に病院へ預けられ、治療を受けてから夕方6時に帰ってくるということを繰り返していました。夕方迎えに来た家族の顔を見ると、つらかったのか大きな声で鳴いたのだそうです。点滴の針が痛々しく心が痛みましたが、それぞれが仕事を調整し、夜を徹してしょんに付き添いました。

点滴をしたしょん

12日の夜は自分がかなりの時間一人でベッドの上のしょんと一緒に過ごしました。身体が思うように動かず、ときどきビクンとして長く寝られない感じでした。見守ることと、時折撫でてやることしかできないのがつらかったですが、カーテンの隙間から差す月明かりに浮かんだ、耐えるように目を閉じているしょんが、本当に美しい顔をしていたのがなぜか強く印象に残っています。

13日の治療を終えて戻ってくると、前日よりも呼吸が乱れ、まともに動くことはほとんどできませんでした。父親は仕事でこの日は大阪へ戻ったため、それ以外の人間で再び眠らない夜が始まるはずでした。しかし、0時が近づくにつれて、しょんは目を見開いたまま、舌を出しながら荒い息遣いをするようになりました。姿勢を変えてあげたり、声をかけ触ってあげたりと皆できることを必死で探しましたが、あまり効果がありませんでした。

そして、いよいよ苦しそうになると、視線が定まらないままのしょんは二度にゃあと鳴きました。自分がどうなるのか分からず怖かったのか、それとも家族に何かを伝えたかったのか。もう知る由もありませんが、それからまもなくしょんはベッドに突っ伏したまま、電池が切れるようにして徐々に動くのを止めました。

家族と離れての入院治療。痛みのせいか夜もまともに寝ておらず、あんなに大好きだったご飯も口にできなくなってしまいましたが、それでも最期の最期まで本当によく頑張ったと思います。正直思い出すだけでまだ涙が出てきますが、せめてあと一度だけ抱きしめてあげたい。今はそんな思いで一杯です。

蓮花寺

明けた9月14日の朝は皮肉なくらいの青空でした。夜の間に探したペット葬儀のお寺を朝一番で訪れ、しょんの供養をしてもらいました。その間、心の中ではずっと「焼かないで!やめてくれ!」と叫んでいましたが、しかし粛々と葬儀は進み、もうしょんの顔を撫でてやることは永遠にできなくなりました。

客観的に考えれば、呼吸が徐々に困難になる肺癌よりも、なぜか先に発症した急性腎不全の方が苦しむ時間は短いですし、普段離れている家族が偶然集まっていたことで、最後の時間を全員と共に過ごすことができたので、しょんは良い最期を迎えたと言っていいのだと思います。ただ、別れがつらいことにやはり変わりはありません。

ペットを失うことがなぜこんなにつらいのかと考えたりもしますが、そもそも人間であっても家族というのは意外と世の中の複雑な話をするよりも、何気ない毎日を一緒に過ごしたりとか、疲れたときにそっと側にいたりとか、言葉よりもそんな単純な時間の積み重ねの方が大切だったりします。

その意味ではしょんから16年余りに渡って何気なく受け取って来たいわゆる喜びだとか幸せのようなものは、家族からのそれ同然の大きさだったと思います。自分とShanにとっては今年もう二度目の大きな別れであり、結局どちらも後悔が残りました。時間切れになる前に、人生の様々な制約に負けず、大事なものを思いの分だけ大事にできる力を少しでも早く身につけたいと切実に思うばかりです。

カレンダーを眺めるとあれからひと月が経ち、9月14日は既に別のページになってしまいました。しょんのいた日々はこれからもどんどん遠ざかり、いつしかたくさんの思い出も曖昧なものになってしまうのだと思います。それでも、今はまだ鮮明なこの記憶と感覚を遠い将来少しでも思い出すためのよすがの一つとして。すべてはとても書き切れないにせよ、しょんへの感謝とともにこの記事を残したいと思います。

自分は神仏や霊的なものは信じないのですが、それでも今はただ切に願いたいと思います。

いつかどこかでまた君と巡り合うことができますように。

新聞の中のしょん

実家の愛猫しょんの思い出」への2件のフィードバック

  1. SAWA

    BBQ行く前にそんな出来事がありましたかぁ。
    全然そんな様子は感じられずだったが、多少気を紛らわす機会になってたら何より。
    十数年も一緒に過ごしてると、ペットというか、理解し合える大事な家族だわね。
    我が家の愛犬2匹も家族全員にとってかけがえのない存在であり、
    何かと心の支えになってくれてた。
    生前はそんなこと自体考えなかったけど、失って月日が経過していくほどに
    どんどんその気持ちは強くなっていくかも。

    確かに思い出はどんどん薄れていってしまうが、これだけたくさんの写真もあり、
    動画も残してあるだろうから、時々見返して思い出してあげるのが大事だね。
    そして今生きるものへの感謝と愛情も忘れずに!
    ご冥福をお祈りします。

    返信
    1. ari.d5233 投稿作成者

      ありがとう!
      BBQはおかげさまでいい気分転換になりました。
      まさか山賊焼き飛ばすとは思わなかったけど。。
      SAWAのとこもいろいろあったと思うけど、
      ほんと前の実家にお邪魔してた頃が懐かしい。
      すごい非社交的なオーラまとった学生だったけど、
      それでも近寄って来てくれて愛嬌ある2匹だったなあ。
      あれから家族が家のクローゼットとか掘り返したら、
      子猫の頃のしょんのDVDが出てきたりしたよ。
      感謝と愛情忘れず、を忘れずにこれからもやっていきます b

      返信

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