草津旅行二日目。鬼押出し園、富岡製糸場

前日の台風も夜のうちに去ったようで、明けた群馬二日目の朝は雲間から日差しも感じられる穏やかな天気。

群馬二日目の朝

しかし、自分のような怠惰クラスタの人間が旅館の朝することといえば、朝風呂&朝食からの再びのベッドダイブ。半端な観光よりもこの時間が至高だったりする。

季の庭の朝食

チェックアウト時間直前まで部屋でゴロゴロした後は、ようやく重い腰を上げて近くの道の駅草津運動茶屋公園へ。ここで無駄に前日の天気予報が当たって降雪に遭ったが、めげずに地域の特産品を買い込むと、この日最初の目的地、鬼押出し園を目指した。

道の駅草津運動茶屋公園

鬼押出し園とは浅間山から噴出した溶岩がむき出しのまま広がる群馬の景勝地。旅行社でバイトしていたときから変な名前の場所だなあと思っていたが、訪問するのは今回が初めて。

鬼押出し園の入口

雲のかかった浅間山と、遠目に広がる溶岩を眺めながら入場口を抜けると、まず目を引くのは昭和感あふれる展望レストラン。

展望レストラン

腹は減っていなかったが、見学自由の展望台を見つけたため、これはと早速登ってみる。すると、黄色く色づいた木々が見渡す限り続く気持ちのいい景色が広がっていた。

鬼押出し園展望台からの景色

しかし、景色を楽しむのも束の間、標高1100mの気温と有名な群馬の強風に容赦なく体温を奪われ、恐ろしく寒い。全身がガチガチと震えてきて、Shanなどはおしゃれストールが顔に張り付いてウォーキングデッドのような悲惨な姿になっていた。

風とShan

ものの数分でそんな展望台から撤退した後は、気を取り直して溶岩の間を縫うように続く遊歩道を登る。昔は浅間山に棲む鬼が怒ると噴火が起きると言われていたらしく、鬼押出しの名はそれが由来なんだそう。

鬼押出し園の遊歩道

道の傍らには数々の高山植物。溶岩の表面にへばりついたこの苔はヒカリゴケといって、暗闇では緑色に光るらしい。光っていなくても、なにやら経てきた歳月が感じられて趣深い。

鬼押出し園のヒカリゴケ

浅間山は2年前にも噴火しているらしく、休憩所がシェルターを兼ねているのには結構な緊迫感があったが、まあともあれ上を目指して道なりにずんずんと進んでみる。

鬼押出し園の道

鬼押出し園の奇岩

すると、15分ほどでたいぶ遠くに見えていた観音堂までたどり着いた。道の途中、寒さで文句ばかり言っていたShanをなだめるために、あの建物にはうまいラーメンがあると騙していたのがバレてキレられる。

鬼押出し園の観音堂

この観音堂の付近は外国人観光客も多く、かなり賑わっていた。浅間山は相変わらず雲がかかってよく見えなかったが、ひとしきり達成感もあったことなので、散策コースにはまだ続きがあったもののここらで引き返すことにした。

観音堂からの浅間山

そうして再び歩道の開始点まで戻ってみると、先ほどは気づかなかった看板が。どうも道に人が少ないと思ったら、自分たちが一生懸命登ったのは裏参道とのことだった。。

鬼押出し園の看板

しかし当然ながら表参道を再び登る余力はなく、車の暖房で温まりながら次なる目的地へ。有料道路を少し走り、長野県に入ってすぐの場所にあるのは軽井沢白糸の滝

軽井沢白糸の滝への歩道

軽井沢白糸の滝のせせらぎ

同じような形状の同名の滝は全国各地に存在するが、富士宮で見たものよりはやや小さめ。しかし荒々しい大自然を見た後だけに、穏やかに水がせせらぐ音には何だか心が落ち着いた。

軽井沢白糸の滝

そこからさらに南下を続けると今度は別荘地の旧軽井沢に到着。

旧軽井沢

さすがにお洒落な飲食店がいくつも立ち並んでいたが、減量中の身だけにここは三笠ホテルのカレーパンを買い食いするに留めることに。カレーパンといっても外はカリカリ、中は具沢山と、やはり安定の別荘地クオリティだった。

三笠ホテルカレーパン

旧軽井沢をぶらついた後は上信越道に乗って再び群馬に入り富岡市へ。目指すは世界遺産の富岡製糸場。離れた場所にある公営駐車場に車を置き、1kmはあろうかという距離を徒歩で向かう。が、しかしその道中は歩道の狭いシャッター商店街。

富岡製糸場へ向かう道

その先も古びた昭和のスナック街が続くなど、これだけ侘しい気分で向かう世界遺産というのも初めてだった。。ただ、1987年まで現役で操業していた富岡製糸場。往時は周辺も賑わっていたはずで、そんな時代の遺産という風に見えなくもなかった。

富岡製糸場近くのスナック

相変わらずの強風のなか歩き続けてようやく入口までたどり着くと、さすがにそこは大勢の観光客で賑わっていた。

富岡製糸場の入口

自分たちも団体客に続くようにして、まずは社員の住宅を外から見学。これは工場幹部の社宅だそうだが、なんだか意外と和風。

富岡製糸場の社員寮

その隣にあるのは、シルクの元となる繭を貯蔵していた東置繭所。明治5年に産業の近代化を目的として誕生したこの製糸場だったが、当時は煉瓦を作る技術がなかったため、瓦職人を集めて一から学ばせながら完成させたのだそう。

富岡製糸場の東置繭所

富岡製糸場の東置繭所の中

東置繭所を過ぎて見えてくるのは、敷地の中央を横断するように建っている生糸の生産現場の操糸所。富岡製糸場の観光の目玉であり、東置繭所とともに国宝にも指定されている。

富岡製糸場の操糸所

今でも機械類はそのまま保管されていて、DVDで詳しい生糸の生産過程を見ることができる。繭が茹でられてから、糸が巻き取られるまでのほぼすべての工程が全自動。

富岡製糸場の立ち並ぶ機械

富岡製糸場の操糸機

建物の外側通路には靴箱や手洗い場などもそのまま残っている。工場のチームが獲った何かのトロフィーなども昔のまま飾られていて、雰囲気は古い学校のようだった。

操糸所の手洗い場

こちらのどこか猫を感じる建物は、製糸場の外国人指導者ブリュナ氏一家の住居。さすがに大きかったが、入室が禁じられていて残念。他にも検査人館や女工館、診療所などがあったが、いずれも修繕が完全でないのか、中を見ることはできなかった。

ブリュナ氏の住居

また敷地の端の方には、もはや見るからにボロボロな建物も残っていた。見たところ工員さん達の寮といった趣きだったが、こちらは近づくことも禁止されていた。西の置繭所が現在改修中だったが、これから順次修繕が進んで内部の見学が可能な建物が増えてくると、より一層見応えが出てくるかと思う。

女工さんの寮?

といったところで富岡製糸場の見学も終了。途中の渋滞も考慮して、これにて2日間に渡る群馬行も幕引きとすることにした。

上里サービスエリア

群馬はこれまであまり行く機会のない縁遠い土地だったが、だからこそ今回思い切って行ってみて正解だったように思う。気づけばもう年の瀬で年内の旅行などはもうないが、来年も旅に限らずまた新しい経験を増やしていけたらと思っている次第。

草津旅行二日目。鬼押出し園、富岡製糸場」への4件のフィードバック

  1. ちゃん

    あんな悲惨な写真を載せるなんて…(● ˃̶͈̀ロ˂̶͈́)੭ꠥ⁾⁾ 寒かった寒かった!(>_<)

    返信
  2. SAWA

    明けましておめでとう!
    しばらくブログ離れしているうちに精力的に更新してたんですな…。

    ウォーキングデッド(笑)
    どう見てもそう表現するのが相応しい絵ですな。。
    LOST見終わったんで、ウォーキングデッドもSeason5の途中から再開せねば。
    しかし鬼押出しは人の住む世界ではなさそうですな。
    確か自分が行った時は真夏だったが、日陰もシェルターくらいなもので
    灼熱地獄と化していたが、冬場も吹きさらしで大変そうだ。
    確かヒカリゴケが光ってるのを見れる場所があったが、表参道だったのかなw
    しかしもう一度行きたいな~とふと感じてしまう不思議なスポットですわ。

    富岡製糸場は世界遺産登録されながらも観光地として苦戦しているようですな。
    工場自体をホテル化する計画があるらしいが、博打的で危険な香り。。
    これだけ世界遺産登録ラッシュだと登録された地元以外は案外盛り上がって
    ないのかも?

    返信
    1. ari.d5233 投稿作成者

      それだけ暇だったということかな笑
      本当はそんな風なのは望んでないんだけど、
      商売柄動きがなければ自分から何かできることはなく。。
      今年もブログの更新頻度で忙しいかどうか判断してもらえれば
      間違いはないと思いますw

      鬼押出は行ってきたんだねぇ。さすが守備範囲広い!
      ヒカリゴケ光ってるの確かにあるらしいね。
      まあ安定の表参道だったということで。。
      だだっぴろい場所だったから寒さで言ったらあそこが一番だったな。
      撮ってる側も同じくらいアンデッド化してたからね笑
      回復アイテム来たら絶対ダメージ受けてたわ。

      製糸場ホテルはちょっと。。だいぶ勝負賭けた感じですな。
      世界遺産もインフレ酷いから、上から下までの差が結構出て来てるよね。
      ただその覚悟を買って今後も富岡の行方はウォッチしたいと思います!

      返信

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