引っ越しを控えた今月の初めには色々な人に勧められていた仙台をようやく訪れた。山形からは40~50分なのでそう構える場所でもなかったが、見たい史料館が平日のみの開放ということで、休める日を探しているうちに遅くなってしまった。
東北も梅雨入りしており当日の天気は雨。ただ、今回は綺麗な湖を見ようという訳でもないので、気にせず週明けの空いた山形道を一路東へと走った。仙台宮城I.C.で降りて長い隧道を抜けると、そこからは久しぶりに都会らしい景色が広がる。
初見は何だか地元の名古屋に似てるなと思ったが、ともあれ、まずは早めの昼食を取るため、車を停めて仙台駅前のハピナ名掛丁商店街というアーケード街へと向かった。
ここのべこ政宗という店で牛タンカレーでも食べようかと思ったが、なんと昼のメニューに見当たらず。なので仕方なくクリスロードの裏通りにある一隆本店というこれまた牛タン専門店へ。
昭和の飲み屋のような狭い店内には、カウンター席とテーブルが3つだけ。頑固な感じに期待が高まったが、品書きには定番の牛タン定食のほか、なぜか名古屋名物の味噌カツが。
それもそのはず「狭くてごめんね!」と愛想のいい店主は元々名古屋のご出身らしい。仙台牛タン発祥の味太助という名店があるが、この方はその店の先代に師事した第一期生なんだとか。
注文したのは二人とももちろん牛タン定食。目の前で焼き上がる牛タンは、独特のシャクっとした食感に、まったりと深みのあるタレが絡みとにかく旨い。テールスープも大きなテール肉が3つも入って食べ応え十分。これで1100円は驚異のCPだった。
食後は例によって市内観光を開始。まずはかつて仙台に留学していた中国の文豪、魯迅の足跡を辿る。最初に向かったのは東北大学のすぐ隣にある旧下宿の建物。
魯迅、本名”周樹人”は若い頃、清国の留学生として約7年間日本に滞在しているが、1904年からの1年半はこの仙台で西洋医学を学んでいた。この時期の生活や日本人教官との交流を描いた『藤野先生』は現在ネットで無料で読める。
古めかしい木造建築の前で当時の学生生活に思いを馳せた後は、続けて東北大学のキャンパス内にある史料館へ。ここでは『魯迅と東北大学』という展示を見学した。
魯迅の学んだ仙台医学専門学校は東北大学の医学部の前身。そのため入学願書からノート、出欠表、成績表に至るまで様々な資料が並べ置かれていた。故人もまさかここまであれこれ公開されるとは想像もしなかっただろう。。
Shanも中国人留学生の先輩の足跡に興味津々の様子。肩肘を張らない人間・魯迅の姿が見られてこちらもなかなか面白かった。その他にも紹興市が寄贈したという魯迅像や、実際に授業を受けていたという階段教室などを見て回る。
平日の大学をカメラ片手に怪しくうろついた後は仙台のもう一人の有名人、伊達政宗ゆかりの場所へ。まずは大学から程近い伊達家の霊廟、瑞鳳殿に向かった。
この瑞鳳殿は桃山文化の影響を受けた、洒落者の政宗らしい絢爛豪華な装飾の廟。かつては国宝指定されていたそうだが、残念ながら戦時の仙台空襲ですべて焼けてしまっている。
ただ、ピンチをチャンスに変えたというのか、再建にあたって行った発掘調査では歴代藩主の遺骨や数々の副葬品が発見されている。併設の資料館ではその様子や品々を見ることができた。
瑞鳳殿の後は定番ともいえる青葉山の仙台城址へ。その途中、雨に煙る街路樹が一幅の絵のように綺麗で、何だか”杜の都”と呼ばれる訳がやっと分かったような気がした。
仙台城は伊達政宗が青葉山に築いた伊達一族の居城。現在はほぼすべての建物が失われているが、霧雨のおかげで風情があった。
夕方になると徐々に雨が強まってきたが、最後に前々から必ず見ておこうと思っていた場所へ。それは仙台市若林区の荒浜という、あの東日本大震災で津波被害を受けた地区。
あの日は誰もが何をしていたかをはっきり記憶しているそんな日だと思うが、自分達のいた川崎市も震度5弱を記録し、かなりの激しい揺れに見舞われた。
おもちゃのように揺れる電柱、ペットを抱え避難した公園、錯綜する報道。交通機関が止まり、ひどい距離を歩いて帰る疲れた人の群れ。その後の計画停電。記憶を辿ればやはり他人事のようにも思えず、この機会に一度は訪れたいと思っていた。
市の中心からは車で約30分。道の途中には今も廃棄物処理場が残る。幹線道路沿いにはプレハブ建てのセブンイレブンが逞しく営業しており、そこから先が荒浜地区になる。
ひょっとしたら少しは町の姿が戻っているかもしれない、そんな風にも思っていたが、3年経った今でもここには本当に何もない。家の基礎だけがまるで遺跡か何かのように寂しく残る。
この荒浜小学校は2階まで浸水したが、校内にいた先生や生徒は上階に避難してみな無事だったらしい。
ほかに何軒か立っている建物もあったが、その破損の仕方は大変なもので、鉄骨がひどい形に折れ曲がっていたりする。
荒浜の再生を願う看板とともに貼られていたのは在りし日の町の写真。夏は海水浴場として賑わうのんびりとした町だったそう。
慰霊碑の前では亡くなられた方々のご冥福をお祈りした。
自然の恵みを受けて生きてきたのが人間なら、自然と間断なく戦い続けてきたのも人間。いつの日か天災というものも克服できると信じたいし、すべての被災者の方に少しでも早く平穏な生活が戻ることを切に願ってやまない。
荒浜を後にする頃にはすでに日は沈みかけていた。そのため夕食は帰り道のI.C.の近くで取ることに。せっかくなのでまさかの牛タン連チャンを選択。伊達の牛タンという仙台のチェーン店に入った。
ここでは定食に加えて昼に食べ損ねた牛タンカレーも注文。
ここの牛タンも食感と香ばしさがしっかり立っていて凄く旨かった。カレーの方はその牛タンの良さがどちらも消えてしまっていていまいち相性が良くない気がしたが、雨の中歩き回った疲れを癒しつつ惜別の牛タンをゆっくり楽しんだ。
初めての仙台は東北随一の都会ながら、少し外れると豊かな森の香りがする評判通りの居心地いい街だった。この後も秋田の地に移ってまだまだ飽くなき東北探究といきたいと思う。
美味そうなもんばっか食ってるねー!
牛タンなんて久しく目にも触れちゃいないや…
それにしても大学に侵入するのが好きだねぇ(笑)
被災地の傷跡は今も変わらず生々しい…。
プレハブといえ、前面はしっかりセブンイレブンなあたりはさすが。
ってコンビニと判らなければ意味がないから当たり前っちゃ当たり前か。
梅雨を通り越して夏の暑さが本格化しているだけに6月は外出せずで
更新がゼロになってしまいそうな勢いだが、この夏はDS HAPPYLIFEを
じっくり読ませてもらって外出した気分に浸らせてもらうよ~♪
牛タンうまかったぞー!
利久っていう有名店は関東にもあるから、
今度研修関係でこっち来たら一緒に行こう。
もちろん恒例の担々麺も忘れずにw
そっちはもう夏の暑さ?
さすがに秋田まで来ると涼しくて、
こっちは夜は毛布一枚だと寒いくらい。
夏はさすがにこうはいかないんだろうけど、
安い家賃で手軽な避暑になっておりますわ ^^b
おっ、ちょうど良かった。
8月21~22日に研修行く事になったから、もし川崎に戻ってたら遊びませう。
場合によっては日曜の夕方まで遊び尽くせるやもしれん。。
避暑できて羨ましいね。
こちらは32℃あたりまで上がる日もちらほらって具合。
まだ暑いと連呼してしまうほどではないが、夏を乗り切るために
鰻でも食べたい今日この頃。
今年も研修の時期が来ましたか。
ちょうどいるからがっつりお待ちしております~
今回は少しはプラニングしとこーな^^;
被災地見れてよかった!毎日を大事に過ごそうね!
みーとみーパパ、たくさんの幸せを運んでくれてありがとう☆
そうだね、結構いろいろ見られてよかったね仙台。
これからもできることしっかりやってこうね。