このところ急に気温が高くなり、昼は夏物でも十分に過ごせるようになったここ熊本。この分だと五月病よりも先に夏バテが来そうな勢いだが、それでも先週は元気を振り絞り、荒尾、柳川の両市へと遊びに行ってきた。
荒尾は熊本市から二つ北隣、福岡県との境に位置する人口約5万人の町。この日は昼前に家を出て一時間程で現地に到着すると、まずは最初の目的地、宮崎兄弟生家へと向かった。
宮崎兄弟といっても自分が知っていたのは末弟の宮崎滔天。有名な孫文ら中国清末の革命家を支援した活動家で、その孫文は当時寒村だった荒尾のこの家を二度も訪れている。
その際、家の者がもてなそうとして出した慣れない刺身を、「オーライ、オーライ」と笑顔で食べて下痢をしていたというエピソードがなんとも微笑ましかったが、展示品はどれも二人の間の信頼関係や絆を示すようなものばかり。
ほかの兄弟達もそれぞれ維新の志士や思想家として名を残しており、また滔天の長男が柳原白蓮の夫であったなど新しい発見も多く、結果、一か所目から時間が大幅に押し始めることに。。
そんな宮崎生家の次に向かったのは、車で10分程のところにある万田坑という炭鉱跡。ここは日本の近代化を支えた三井三池炭鉱の坑口のひとつで、1997年まで操業していた。
崩れた煉瓦に鉄条網と、なんだかアメリカ映画のホラーシーンに出てきそうな雰囲気。
ここは現在、国の重要文化財に指定されており、さらに世界文化遺産の暫定リストにも載っているのだそう。山鹿の八千代座とともに映画『るろうに剣心』二部作のロケ地にも使われている。
雰囲気がある建物なのでカメラの心得がある人には良さそうな場所。自分らもShanが謎のポーズを決めつつ撮影会。
とまあ写真を撮っている間にさらに時間が押し、急ぎ気味に次の目的地である柳川へ。荒尾からは北の大牟田市を挟んだ向こう側になる。一般的には水郷の町として有名な場所。
ただ、この日は天気も曇り始め、船頭さんの舟歌は聴くことなくまずは立花家史料館へ。
この柳川はかつて豊臣秀吉に西国一と評された名将、立花宗茂の所領。史料館は広くはないものの撮影OKで、宗茂の甲冑や、実父、高橋紹運が授けた刀などを見ることができた。
隣接した立花家の庭園である松濤園は、松や岩を大胆に使った男らしい印象の庭。信長の野望で世話になったからというひどい動機でやってきたが、なにかと知識も増えて納得の訪問だった。
最後はさらに北上して鳥栖プレミアムアウトレットへ。何とか閉店1時間前に着いたので、Shanと別行動で周回し、暑さ対策のパンツを入手。買い物後は久留米で急に食べたくなったハンバーグを食べ、高速で一気に熊本へと戻った。
まもなく4月も終わり、いよいよ世間はGWに突入する。元々”GWは家でゴロ寝派”の自分だが、今はせっかくの九州住まい。来月も暑さと格闘をしながら、また県外遠征などにも繰り出していきたいと思う。
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